2025年2月26日

特別養子縁組 実親体験記第二弾(4)

決心してから託す日までの辛い時間    


[前回のあらすじ:妊娠27週で生まれてきた1,000gの赤ちゃん。保育器の中に手を入れると、力強く指を握ってくれて、その瞬間「母性」というものが溢れてきました。]


病室に戻ってから、どうするのが1番良いのか落ち着いて考えました


そして気持ちが固まりました

「特別養子縁組をお願いしよう」

気持ちが揺らぐ前にシンシアさんに伝え、養子縁組の団体さんへ伝えられ、養親さん探しが始まりました

私の赤ちゃんは1ヶ月NICUに入院する事になり、私が退院するまでの間は毎日会いに行きました

2時間ごとに授乳室に行き、母乳を出してシリンジに移してNICUへ届けました

授乳室には当然のことですが、赤ちゃんとお母さんがいる事の方が多くて

1人で搾乳器を使っている時は悲しくて寂しかったです


NICUの看護師さんは凄く優しくて

足形を一緒に取ってくれたり、綿棒に母乳を染み込ませたものを口に当てて飲ませてくれたり…

寝顔の写真を撮ってくださって記録に残してくれたりもしました

どうしても感情が抑えられず泣きじゃくってしまう時は、傍で寄り添って話を聞いてくれて物凄く助けていただきました


私は1週間で退院し、シンシアさんの家へ戻りました

まだ、養親さんが見つからない状態だったので

毎日病院へ行って赤ちゃんと会って

カメラで写真を沢山撮って

「今日も可愛いね~」「頑張ってるね」と声をかけて、状態が安定してきた時には抱っこする事もできたし、沐浴もさせてもらいました

そんな日々が1ヶ月ほど続いたある日

「養親さんが見つかった」とシンシアさんに連絡がきました


この日から、養親さんと実際に会うまでの間

私にとって地獄のように辛い時間の始まりでした


養子縁組をすると決めた日から、産みの親が特別養子縁組をしたときの事をネットで沢山調べました

しかし、出てくるのは赤ちゃんを迎える養親さんの事ばかり

涙を流しながら「これからよろしくね」と赤ちゃんを抱っこする養親さんの姿は、未来の私が目の前にする姿なのだと思うと耐えられませんでした


様々な団体さんのホームページも見ました

でも、産みの親の声が書かれている所は限りなく少なく見つけられないだろうなというのが私の印象でした


養親になるためには厳しい審査があり、適正がなければなることができない

そんなことばかりが書かれていました

違う、そうじゃない

どうして産みの親の事をもっと書いてくれないの?

私達は簡単に特別養子縁組すると決めた訳じゃないのに、その気持ちを知ってもらう事はできないの?と思ったのを覚えています


そんな日々が過ぎていき、養子縁組の団体の方が会いに来るとシンシアさんに言われました

私は会いたくなくて、本当に嫌で、来ないでほしいと心から思ってしまいました

「子供を奪われる」そう思うようになってしまっていました

でも時間は過ぎていき、会う日になり

初めて団体の方とお話をすることになります


団体の方は2人来てくださって

お二人とも凄く優しく話を聞いてくれました

赤ちゃんの両親となる方の情報も教えていただき、養親さんに託す日も決め、赤ちゃんと会える時間も残り僅となりました

養親さんからのお手紙もいただきました

今でも大切に保管しています


「私にできること何かないかな」

ふと、そう思い

アルバムを作ろう!と決めて材料を買いに行き

養親さんが会えなかった1ヶ月間の赤ちゃんの写真とメッセージ、最後のページには名前に込めた想いと幸せになってほしいというメッセージを手紙にしました

(続く)



2025年2月22日

特別養子縁組 実親体験記第二弾(3)

保育器の赤ちゃんに指を握られ、溢れた母性


前回のあらすじ:妊娠16週から始まったライフ・ホープ・ネットワークでのホームステイ。子供の幸せのためには特別養子縁組が良いと思いながらも、決意が揺らぐ日もありました。そんな中、妊娠27週で突然破水してしまいます。]


突然の破水

シンシアさんはアメリカに帰っており、サポートメンバーの方々が病院へ来てくれて

個室に移り、お腹の張り止めの点滴をしてもらい、ベットの上で動くこともできず

羊水はほぼなくなっていて、先生からは

「今産まれてしまうと、肺がまだ成熟していないからNICUで人口呼吸器を使うことになります。だから少しでもお母さんのお腹にいてほしい。でも、赤ちゃんが苦しそうなサインが出たら緊急帝王切開します。いいですか?」と言われました

「お願いします」と答える意外の選択肢はありませんでした

「お願いだから、少しでも長くお腹にいてね」と願うことしかできず、赤ちゃんの肺の成長を促す注射をお尻に刺され安静を保つ事に専念しました


次の日の診察で「今から帝王切開します」と言われ、看護師さんに着替えをさせてもらい

手術室へ運ばれ、背中から麻酔の注射を入れてもらい

麻酔が効いているか何度も確認してもらって

帝王切開が始まりました

初めての手術、意識がある中で処置される怖さ、赤ちゃんの心配から涙が止まらず

看護師さんがずっと「大丈夫だよ」と声をかけながら、私の震える手を握っていてくれました


ピッピッピッ…と私の心拍音と先生方の器具を扱う音が数分聞こえた後、「産まれますよー!」と言われ「ふにゃ」と、とても小さな声で泣いてくれたのを覚えています

先生方が「泣いてくれたー!」と嬉しそうに言ってくださって

傍に待機してくれていたNICUの看護師さんの所へすぐに運ばれ、処置をしてもらい少しだけお顔を見せてもらって、赤ちゃんはNICUへ運ばれました



シングルマザーになるか特別養子縁組するか決まらないまま、赤ちゃんが産まれてしまった

「どうしよう」ずっと頭の中が混乱していました


次の日、リハビリを兼ねてNICUまで歩いて赤ちゃんに会いに行きました

保育器に入っている赤ちゃんは沢山の管に繋がれ、一生懸命生きようと頑張っている姿を見て涙が止まりませんでした

1044gで産まれてしまった赤ちゃんは

私の両手に収まってしまうほど小さく

担当医の先生から「産まれてから72時間が1番危険なんです。栞さんのベビーは脳内で出血していて障害が残るかもしれません」と伝えられた時は「ごめんね…ごめんなさい」と心の中で何度も何度も謝ることしかできず、NICUの看護師さんが背中をさすって傍にいてくれました


保育器の中に手を入れると、1000gしかないとは思えないほど力強く私の指を握ってくれました

その時に、言葉にするのが難しいのですが

「母性」というものが溢れてきました

愛おしくて、可愛くて、ずっと触れていたい気持ちでいっぱいになったのです

(続く)

第4話 決心してから託す日までの辛い時間

<前回までのお話はこちらから>

第1話 妊娠16週「このままでは死んでしまう」

第2話 特別養子縁組を決めながらも揺れる心

2025年2月15日

特別養子縁組 実親体験記第二弾(2)

特別養子縁組を決めながらも揺れる心   


前回のあらすじ:妊娠16週で妊娠SOSに助けを求め、保健師さんからの紹介でライフ・ホープ・ネットワークにやって来ました]


他のホームステイの人と話したり

シンシアさんと話したりして

ずっと1人で不安だった気持ちは全くなくなり

お料理をしたり、マイカと遊んだり、カフェで働いたり…

そんな日々を過ごすなかで、お腹の子の将来を決めなければ…と考えるようになりました


シングルマザーになり1人で育てるのか

特別養子縁組をするのか

とても悩みましたし、シンシアさんにも沢山相談しました

特別養子縁組がどのような制度なのかも説明してもらったし

シングルマザーになるなら母子寮に入ることになることも教えてもらいました


でも、私の心の奥底では決まっていました

「特別養子縁組にしよう」

理由は3つありました

1つ目は、私には頼れる親族がいません

両親とは20歳になる前に縁を切っており10年以上会っていません

いざ働くとなって困った時に助けてくれる人がいないのです

子供は体調を崩しやすいですし、他の面でも助けてくれる人がいないというのは苦しいなと感じていました


2つ目は、私は6歳の時に両親が離婚していて父親に引き取られました

手を上げられる事は日常茶飯事、暴言もありました

いつも父の顔色を伺いながら、機嫌を損ねないように過ごしていました

「虐待されて育った子は自分の子にも同じような事をする」

どこかで目にした言葉です

親から愛情をもらった記憶がなく、普通の家族が分からないまま大人になったので

子供をきちんと育てられる自信が全くありませんでした


3つ目は、2つ目と同じような理由ですが

私の元で育つよりも、きちんとした両親がいて

愛情をたくさん注いでもらって、やりたいことをやらせてもらえる環境で育った方が絶対に子供のためになると思ったからです

幸せになってほしい、心からそう思っていたので

私は特別養子縁組をすることを決めました


特別養子縁組をすることを決めたからといって

決意が揺らがないという事はなかったです

「やっぱりシングルマザーになろう」

「いや、養子縁組した方がこの子は幸せだ」

毎日、部屋に戻って1人になると考えてしまって

どの選択をするのが正解なのか分からず涙を流すこともありました


そんな日々を過ごしながら、妊娠27週の時に突然破水しました

(続く)

第3話へ


<前回のお話はこちらから>

2025年2月10日

特別養子縁組 実親体験記第二弾(1)

妊娠16週「このままでは死んでしまう」       


はじめまして

栞(仮名)と言います

私は、7年前に男の子を特別養子縁組に出しました

今回、こうして養子縁組について書こうと思ったのは

特別養子縁組をするご夫婦の事は沢山書かれているけれど、託す側(産みの親)の事が書かれている記事を目にすることは余りなく

特別養子縁組に出す事=子供を捨てる

という偏見があるからなのかな?と思い

そんなことはない、沢山悩んで考えて決断したことで、恥ずかしい事じゃないと知ってほしい気持ちと

特別養子縁組をされるご夫婦に、産みの親の気持ちを少しでもいいから知ってほしくて文章にしようと思いました


妊娠した時、子供の父親とは同棲しており妊娠を告げた時に言われた言葉は「いらない」でした

当時、体調が悪く働いていなかった私は貯金もなく産婦人科に行く事もできないまま月日が経っていきました

私は悪阻が酷く、ずっと吐いていました

何も食べられず、飲めず、このままでは死んでしまうと本能的に思ったのを覚えています

なんとか助けてくれる所を探して辿り着いたのが、市がやっている妊娠SOSという団体でした

いまの現状を伝えると、次の日には保健師さんが家に来てくれて産婦人科に連れていってくれました

その時には妊娠16週でした


病院が終わった後は、そのまま区役所に連れていかれ生活保護の申請をしました

免許証の期限が切れていて身分を証明できるものがない私に、保健師さんは保護担当の方に

「いま!困ってるんです!!無いものをどうやって出せと言うのですか?!」と凄く親身になって説得してくれたのを凄く覚えています


それから数日後に保健師さんから連絡があり

シンシアさんに会いに行きました

私の事を凄く心配してくれて

私の悪阻が酷く体調が良くないこと、週数が16週と短いことから、今すぐには受け入れるのが難しいことを説明してくれました

それから数日後に再度連絡があり

「お部屋の空きが出たから来てもいいと言ってくれています!」と伝えられ、持てる荷物を持ってシンシアさんの所へホームステイすることになりました

今でも覚えています12月17日の出来事でした

(続く)

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