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2025年3月12日

特別養子縁組 実親体験記第二弾(6)

長く辛かった7年間、でも後悔はしない  


[前回のあらすじ:出産から1ヶ月経って、赤ちゃんを養親さんに託しました。喪失感、寂しさ、孤独と闘いながら、少しずつ前を向いて来ました]


私がこうして特別養子縁組に託した子供の事を話せるようになるまで7年かかりました


皆さんにとって、7年という月日はどのように感じるでしょうか?

小学生なら卒業し中学生

高校生なら卒業し大学生

大学生なら社会人へ


私にとって7年という時間はとても長く辛いものでした

暗くてゴールの見えないトンネルの中にいるような、やり場のない感情を抱えて過ごすのは

皆さんが思っている以上に辛く、苦しい時間です


7年間、子供の写真を見なかった日は1度もありません

寝る前に見ては悲しくなり「もう喋るのかな?」「どんな声なんだろう」

想像しては苦しくなっての繰り返しです

養子縁組の団体さんが1年に何度か写真と動画を送ってくれます

子供の成長は凄く早い

前の写真・動画では立てなかったのに、次の写真や動画では立っているなんて事は普通です

子供達は成長していくのに、私だけ置いてけぼりな感覚に陥ります

私だけ7年前で時間が止まってたんです

それが、やっと前を向いて進めるようになりました



特別養子縁組をした「お母さん」は

悩むことなく決断する事はありません

お腹の中で大切に育てた赤ちゃんを手放す事は本当に辛く、悲しく、苦しいです

産まれた赤ちゃんと入院中の1週間という短い時間共に過ごし

「幸せになってね」と赤ちゃんの幸せを願い自分の手で養親さんに託します

特別養子縁組をしたお母さんに

「子供を捨てた」は必要ない言葉です

養親さんの気持ちだけではなく

「産みの親」の気持ちも知ってもらえたら嬉しいです


1044gで産まれた息子は、奇跡的に何の障害もなく、お姉ちゃんと共に元気に育っています

写真からご両親に沢山愛されている事が伝わってくるほど、幸せそうな顔をしていて養親さんには感謝の気持ちでいっぱいです

私は特別養子縁組したことを後悔していません

この先の人生、私も幸せに過ごすために生きていきます


いま、どうしたらいいのか悩んでいるお母さん達に伝えたいです

どうか、1人で抱え込まず相談してほしい

役所に行ったら冷たくされたという声を聞いた事があります

人間不信になりますよね

どうせ助けてくれないって思いますよね

ライフホープネットワークは違います

絶対に助けてくれます、最善の策を一緒に考えてくれて、見放すような事はないです

自分は1人だと思わないでください

ちゃんと守って助けてくれる人達がいます

1歩の勇気を振り絞ってみたら、あなたの居る世界は変わります

悲しい思いをする女性が少しでも居なくなってほしいです

(完)


<これまでのお話はこちらから>

第1話 妊娠16週「このままでは死んでしまう」

第2話 特別養子縁組を決めながらも揺れる心

第3話 保育器の赤ちゃんに手を握られ、溢れた母性

第4話 決心してから託す日までの辛い時間

第5話 目を見て伝えた「よろしくお願いします」

特別養子縁組 実親体験記第二弾(5)

目を見て伝えた「よろしくお願いします」 


[前回のあらすじ:赤ちゃんは特別養子縁組に託すと決め、NICUに通った1ヶ月間。そしてとうとう養親が見つかったと連絡があり、赤ちゃんを渡す日がやって来ました]


当日、心臓がずっとバクバクしていました

シンシアさんと一緒に病院へ行くと

団体の方と養親さんが先に着いて待っていてくれました

「はじめまして」と初めて顔を合わせて

私の体調を心配してくれて

どんなお仕事をしているのか等をお話ししてくださり

とても優しそうで素敵なご夫婦でした

私は作ったアルバムをお渡しして

「○○(子の名前)を家族として迎えてくださって本当にありがとうございます。よろしくお願いします」と目を見て伝えました

絶対に泣かないと決めていたのに、声が震えて涙がポロポロこぼれてしまって堪えられませんでした


団体の方に「最後に会ってきますか?」と言われたので、会いに行くと看護師さんが個室を用意してくださって、赤ちゃんと私の最後の時間を過ごしました

時間にすると10分程だったと思います

「大好きだよ」

「絶対に幸せになってね」

「ママはずっと大好きだよ」

「産まれてきてくれて、ありがとう」

もう会えないから、顔を見ることもできないから

ありったけの言葉を沢山伝えました


そして、養親さん達の所へ戻り挨拶をして

シンシアさんと家へ帰りました


家に着くと、すぐに部屋に戻りました

言葉にならない喪失感

体からぽっかりと何かが抜けて失くなってしまったような感覚

もう会えない

もう触ることもできない

取り残されたような寂しさと悲しさと孤独感が一気に押し寄せてきました

気づけばポロポロ泣いていて、止まらなくて

赤ちゃんに会いたくて堪らなくて苦しい


次の日から、ご飯が食べられなくなりました

食欲もないし何もしたくない

ずっとベットの上で今まで撮影した赤ちゃんの写真を見ていました


お昼過ぎに部屋のドアをノックする音があり

開けるとシンシアさんでした

「栞?ご飯食べた?」と声をかけてくれました

「食べてない、食欲ない」と言うと

「食べないとダメね、カフェからご飯持ってきたよ」と

リビングに行くと温かいご飯が置いてあって

椅子に座って1人で食べ始めたら涙が止まらなくて

食べ終わるまでずっと泣いていました


何をしていても楽しくなくて

外に出る元気なんてない

私が一生懸命お腹の中で育てた赤ちゃんが

他の人の所へ行ってしまった現実を受け止める心の余裕がありませんでした

「なんで、どうして赤ちゃんは私のところにいないの」

こんな気持ちが頭の中をぐるぐると巡って、苦しくて、死んでしまいたいと思うこともありました


気持ちが沈んで、笑うこともできなくて

他の人と話す気持ちにもなれない

「なんで私がこんなに苦しまないといけないの」

「私の赤ちゃんなのに、どうしていないの」

心の中は暗い感情でいっぱいでした

シンシアさんは

「養子縁組したお母さんは皆そうなる」と言ってくれて、必要以上に声をかけたりせず見守ってくれていました


赤ちゃんの書類を整理していた時に、NICUの看護師さんが書いてくれた赤ちゃんの記録を見つけて読んでみると

毎日どんなことがあったのか、こんな仕草してました、可愛いイラストと写真を貼り付けて手書きで日記を書いてくれていました

1人の看護師さんだけでなく、他の看護師さんも書いてくれていて

ポロポロ泣きながら全て読み終わる頃には

「あの子はとても守られて、大切にされて可愛がってもらっていたんだな」と思うと

心が少しだけ楽になるような感覚になりました


次の日から少しずつ、本当に本当に少しずつ

前を向けるようになって

カフェの手伝いをしながら引っ越す所を探して…という日々が続きました


(続く)

第6話 長く辛かった7年間、でも後悔はしない


<前回までのお話はこちらから>

第1話 妊娠16週「このままでは死んでしまう」

第2話 特別養子縁組を決めながらも揺れる心

第3話 保育器の赤ちゃんに手を握られ、溢れた母性

第4話 決心してから託す日までの辛い時間


2025年2月26日

特別養子縁組 実親体験記第二弾(4)

決心してから託す日までの辛い時間    


[前回のあらすじ:妊娠27週で生まれてきた1,000gの赤ちゃん。保育器の中に手を入れると、力強く指を握ってくれて、その瞬間「母性」というものが溢れてきました。]


病室に戻ってから、どうするのが1番良いのか落ち着いて考えました


そして気持ちが固まりました

「特別養子縁組をお願いしよう」

気持ちが揺らぐ前にシンシアさんに伝え、養子縁組の団体さんへ伝えられ、養親さん探しが始まりました

私の赤ちゃんは1ヶ月NICUに入院する事になり、私が退院するまでの間は毎日会いに行きました

2時間ごとに授乳室に行き、母乳を出してシリンジに移してNICUへ届けました

授乳室には当然のことですが、赤ちゃんとお母さんがいる事の方が多くて

1人で搾乳器を使っている時は悲しくて寂しかったです


NICUの看護師さんは凄く優しくて

足形を一緒に取ってくれたり、綿棒に母乳を染み込ませたものを口に当てて飲ませてくれたり…

寝顔の写真を撮ってくださって記録に残してくれたりもしました

どうしても感情が抑えられず泣きじゃくってしまう時は、傍で寄り添って話を聞いてくれて物凄く助けていただきました


私は1週間で退院し、シンシアさんの家へ戻りました

まだ、養親さんが見つからない状態だったので

毎日病院へ行って赤ちゃんと会って

カメラで写真を沢山撮って

「今日も可愛いね~」「頑張ってるね」と声をかけて、状態が安定してきた時には抱っこする事もできたし、沐浴もさせてもらいました

そんな日々が1ヶ月ほど続いたある日

「養親さんが見つかった」とシンシアさんに連絡がきました


この日から、養親さんと実際に会うまでの間

私にとって地獄のように辛い時間の始まりでした


養子縁組をすると決めた日から、産みの親が特別養子縁組をしたときの事をネットで沢山調べました

しかし、出てくるのは赤ちゃんを迎える養親さんの事ばかり

涙を流しながら「これからよろしくね」と赤ちゃんを抱っこする養親さんの姿は、未来の私が目の前にする姿なのだと思うと耐えられませんでした


様々な団体さんのホームページも見ました

でも、産みの親の声が書かれている所は限りなく少なく見つけられないだろうなというのが私の印象でした


養親になるためには厳しい審査があり、適正がなければなることができない

そんなことばかりが書かれていました

違う、そうじゃない

どうして産みの親の事をもっと書いてくれないの?

私達は簡単に特別養子縁組すると決めた訳じゃないのに、その気持ちを知ってもらう事はできないの?と思ったのを覚えています


そんな日々が過ぎていき、養子縁組の団体の方が会いに来るとシンシアさんに言われました

私は会いたくなくて、本当に嫌で、来ないでほしいと心から思ってしまいました

「子供を奪われる」そう思うようになってしまっていました

でも時間は過ぎていき、会う日になり

初めて団体の方とお話をすることになります


団体の方は2人来てくださって

お二人とも凄く優しく話を聞いてくれました

赤ちゃんの両親となる方の情報も教えていただき、養親さんに託す日も決め、赤ちゃんと会える時間も残り僅となりました

養親さんからのお手紙もいただきました

今でも大切に保管しています


「私にできること何かないかな」

ふと、そう思い

アルバムを作ろう!と決めて材料を買いに行き

養親さんが会えなかった1ヶ月間の赤ちゃんの写真とメッセージ、最後のページには名前に込めた想いと幸せになってほしいというメッセージを手紙にしました

(続く)



2025年2月22日

特別養子縁組 実親体験記第二弾(3)

保育器の赤ちゃんに指を握られ、溢れた母性


[前回のあらすじ:妊娠16週から始まったライフ・ホープ・ネットワークでのホームステイ。子供の幸せのためには特別養子縁組が良いと思いながらも、決意が揺らぐ日もありました。そんな中、妊娠27週で突然破水してしまいます。]


突然の破水

シンシアさんはアメリカに帰っており、サポートメンバーの方々が病院へ来てくれて

個室に移り、お腹の張り止めの点滴をしてもらい、ベットの上で動くこともできず

羊水はほぼなくなっていて、先生からは

「今産まれてしまうと、肺がまだ成熟していないからNICUで人口呼吸器を使うことになります。だから少しでもお母さんのお腹にいてほしい。でも、赤ちゃんが苦しそうなサインが出たら緊急帝王切開します。いいですか?」と言われました

「お願いします」と答える意外の選択肢はありませんでした

「お願いだから、少しでも長くお腹にいてね」と願うことしかできず、赤ちゃんの肺の成長を促す注射をお尻に刺され安静を保つ事に専念しました


次の日の診察で「今から帝王切開します」と言われ、看護師さんに着替えをさせてもらい

手術室へ運ばれ、背中から麻酔の注射を入れてもらい

麻酔が効いているか何度も確認してもらって

帝王切開が始まりました

初めての手術、意識がある中で処置される怖さ、赤ちゃんの心配から涙が止まらず

看護師さんがずっと「大丈夫だよ」と声をかけながら、私の震える手を握っていてくれました


ピッピッピッ…と私の心拍音と先生方の器具を扱う音が数分聞こえた後、「産まれますよー!」と言われ「ふにゃ」と、とても小さな声で泣いてくれたのを覚えています

先生方が「泣いてくれたー!」と嬉しそうに言ってくださって

傍に待機してくれていたNICUの看護師さんの所へすぐに運ばれ、処置をしてもらい少しだけお顔を見せてもらって、赤ちゃんはNICUへ運ばれました



シングルマザーになるか特別養子縁組するか決まらないまま、赤ちゃんが産まれてしまった

「どうしよう」ずっと頭の中が混乱していました


次の日、リハビリを兼ねてNICUまで歩いて赤ちゃんに会いに行きました

保育器に入っている赤ちゃんは沢山の管に繋がれ、一生懸命生きようと頑張っている姿を見て涙が止まりませんでした

1044gで産まれてしまった赤ちゃんは

私の両手に収まってしまうほど小さく

担当医の先生から「産まれてから72時間が1番危険なんです。栞さんのベビーは脳内で出血していて障害が残るかもしれません」と伝えられた時は「ごめんね…ごめんなさい」と心の中で何度も何度も謝ることしかできず、NICUの看護師さんが背中をさすって傍にいてくれました


保育器の中に手を入れると、1000gしかないとは思えないほど力強く私の指を握ってくれました

その時に、言葉にするのが難しいのですが

「母性」というものが溢れてきました

愛おしくて、可愛くて、ずっと触れていたい気持ちでいっぱいになったのです

(続く)

第4話 決心してから託す日までの辛い時間

<前回までのお話はこちらから>

第1話 妊娠16週「このままでは死んでしまう」

第2話 特別養子縁組を決めながらも揺れる心

2025年2月15日

特別養子縁組 実親体験記第二弾(2)

特別養子縁組を決めながらも揺れる心   


[前回のあらすじ:妊娠16週で妊娠SOSに助けを求め、保健師さんからの紹介でライフ・ホープ・ネットワークにやって来ました]


他のホームステイの人と話したり

シンシアさんと話したりして

ずっと1人で不安だった気持ちは全くなくなり

お料理をしたり、マイカと遊んだり、カフェで働いたり…

そんな日々を過ごすなかで、お腹の子の将来を決めなければ…と考えるようになりました


シングルマザーになり1人で育てるのか

特別養子縁組をするのか

とても悩みましたし、シンシアさんにも沢山相談しました

特別養子縁組がどのような制度なのかも説明してもらったし

シングルマザーになるなら母子寮に入ることになることも教えてもらいました


でも、私の心の奥底では決まっていました

「特別養子縁組にしよう」と

理由は3つありました

1つ目は、私には頼れる親族がいません

両親とは20歳になる前に縁を切っており10年以上会っていません

いざ働くとなって困った時に助けてくれる人がいないのです

子供は体調を崩しやすいですし、他の面でも助けてくれる人がいないというのは苦しいなと感じていました


2つ目は、私は6歳の時に両親が離婚していて父親に引き取られました

手を上げられる事は日常茶飯事、暴言もありました

いつも父の顔色を伺いながら、機嫌を損ねないように過ごしていました

「虐待されて育った子は自分の子にも同じような事をする」

どこかで目にした言葉です

親から愛情をもらった記憶がなく、普通の家族が分からないまま大人になったので

子供をきちんと育てられる自信が全くありませんでした


3つ目は、2つ目と同じような理由ですが

私の元で育つよりも、きちんとした両親がいて

愛情をたくさん注いでもらって、やりたいことをやらせてもらえる環境で育った方が絶対に子供のためになると思ったからです

幸せになってほしい、心からそう思っていたので

私は特別養子縁組をすることを決めました


特別養子縁組をすることを決めたからといって

決意が揺らがないという事はなかったです

「やっぱりシングルマザーになろう」

「いや、養子縁組した方がこの子は幸せだ」

毎日、部屋に戻って1人になると考えてしまって

どの選択をするのが正解なのか分からず涙を流すこともありました


そんな日々を過ごしながら、妊娠27週の時に突然破水しました

(続く)

第3話へ


<前回のお話はこちらから>

2025年2月10日

特別養子縁組 実親体験記第二弾(1)

妊娠16週「このままでは死んでしまう」       


はじめまして

栞(仮名)と言います

私は、7年前に男の子を特別養子縁組に出しました

今回、こうして養子縁組について書こうと思ったのは

特別養子縁組をするご夫婦の事は沢山書かれているけれど、託す側(産みの親)の事が書かれている記事を目にすることは余りなく

特別養子縁組に出す事=子供を捨てる

という偏見があるからなのかな?と思い

そんなことはない、沢山悩んで考えて決断したことで、恥ずかしい事じゃないと知ってほしい気持ちと

特別養子縁組をされるご夫婦に、産みの親の気持ちを少しでもいいから知ってほしくて文章にしようと思いました


妊娠した時、子供の父親とは同棲しており妊娠を告げた時に言われた言葉は「いらない」でした

当時、体調が悪く働いていなかった私は貯金もなく産婦人科に行く事もできないまま月日が経っていきました

私は悪阻が酷く、ずっと吐いていました

何も食べられず、飲めず、このままでは死んでしまうと本能的に思ったのを覚えています

なんとか助けてくれる所を探して辿り着いたのが、市がやっている妊娠SOSという団体でした

いまの現状を伝えると、次の日には保健師さんが家に来てくれて産婦人科に連れていってくれました

その時には妊娠16週でした


病院が終わった後は、そのまま区役所に連れていかれ生活保護の申請をしました

免許証の期限が切れていて身分を証明できるものがない私に、保健師さんは保護担当の方に

「いま!困ってるんです!!無いものをどうやって出せと言うのですか?!」と凄く親身になって説得してくれたのを凄く覚えています


それから数日後に保健師さんから連絡があり

シンシアさんに会いに行きました

私の事を凄く心配してくれて

私の悪阻が酷く体調が良くないこと、週数が16週と短いことから、今すぐには受け入れるのが難しいことを説明してくれました

それから数日後に再度連絡があり

「お部屋の空きが出たから来てもいいと言ってくれています!」と伝えられ、持てる荷物を持ってシンシアさんの所へホームステイすることになりました

今でも覚えています12月17日の出来事でした

(続く)

第2話へ

2023年7月19日

特別養子縁組 実親体験記(6/6)

(6)手放す強さ             


ここまで5回にわたって、我が子を特別養子縁組で養親さんに託した翔子さんのインタビューをお届けしました。


翔子さんは並大抵ではない人生を歩んで来られた女性です。肉親から虐待され、大人に「守られる」経験をほとんどせずに20代半ばまで生き抜いてきたことに感動すら覚えます。それもただ生きているのではなく、しっかりと前を向いて、明るく生きようとしています。そして、誰よりも「家族」を必要としている立場にありながら、赤ちゃんの幸せのために自分から家族を手放す決断をしました。自分の状況を客観的に見る判断力と、赤ちゃんへの深い愛と、現実を受け止める強さがなければできない決断です。

 

本来であれば口にすることすら辛い経験を、知り合ってからの期間が決して長くはないスタッフの私に話し、そしてさらにウェブ上で公開することを許可してくださった翔子さんに、心から感謝します。

 

最後に、この記事に書かれていることはあくまでも翔子さんという一人の女性の経験であることをご理解いただきたいと思います。たとえば翔子さんのように虐待経験のある方がこの記事をお読みになって「自分も家庭を持つべきではない」と決心するようなことは、この記事の意図していることではありません。

 

勇気を持ってインタビューに応じてくださった翔子さんの思いが一人でも多くの人に届き、励ましとなりますように。



完


これまでのインタビュー記事

(1)仲間がいるよ!

(2)養子縁組一択だった出産前

(3)出産したら感情が飛び出た

(4)養親さんと過ごした大切な1時間

(5)「死にたい」から「生きなきゃ」へ

2023年7月15日

特別養子縁組 実親体験記(5/6)

(5)「死にたい」から「生きなきゃ」へ  


スタッフM(以下M):出産後、翔子さんは一時期「死にたい」とまで思っていたのに、そこからどうやって回復したんですか?

 

翔子さん(仮名、以下S):一人で悩まずにコミュニティがあることは大事だと思います。私の場合、養子縁組の選択を友達に批判されて傷ついたけれど、理解してくれる友達もいました。一番の親友は、「それはあなたが決めたことだから否定も肯定もしないよ」と言ってくれて、今も妊娠する前と変わらず冗談を言い合う関係です。

シンシア(妊婦さんのための宿泊施設の家主)は、私から無理にいろいろ聞こうとせず、私が話したいタイミングで話せるように待っていてくれます。自分のペースで安心して話せる相手がいなければ、今もまだ落ち込んでいたと思います。

 

M:死を考えるほどに思い詰める実母さんは、翔子さん以外にもきっといると思います。

 

S:私の場合は、養親さんとユウ君と、それぞれに手紙を書いて養親さんに渡しました。その手紙の中に、「幸せになってください」と書いたんです。それを書いた時に「生きなきゃ」と思いました。ここでもし私が死んだら死んだ理由がユウ君になります。それでは幸せになってもらえない。死にたくなった実母さんは、まず一回赤ちゃんを頭の中によぎらせて欲しいです。そしてとりあえず生きて欲しいです。

 

M:今もまだ辛いことはありますか?

 

S:施設育ちの私にとって、ユウ君は唯一の「家族」でした。その家族を失ってしまって、また孤独になってしまった、という気持ちがあります。周りの人たちを見ながら、なんで私だけいつも一人なんだろう、と思うことがあります。

 

M:それほどに大きな存在だったんですね。

 

S:夜になるといまだに泣くことがあります。でも、将来ユウ君にいつどこで会っても恥ずかしくないように生きたいと思っているので。辛い時にはそれをひたすら思い出しています。

 

M:辛いけれど、ユウ君の存在が翔子さんの生きるエネルギーにもなっているんですね。本当に尊いお話をしてくださってありがとうございました。




インタビュー 完

6/6 エピローグへ続く


前の記事:(4)養親さんと過ごした大切な1時間

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2023年7月11日

特別養子縁組 実親体験記(4/6)

(4)養親さんと過ごした大切な1時間  


スタッフM(以下M):翔子さんは、養親さんに会って直接赤ちゃんを渡しましたね。

 

翔子さん(仮名、以下S):養親さんに会いたいかどうか、児童相談所の人に事前に確認されました。会ったら絶対落ち込むから会わない方がいい、と言う友達もいました。でも、落ちてでも会わないと後で後悔すると思いました。養親さんにきちんと子どもを託すことで、母としての自分の最後の役目を果たそうと思いました。

 

M:実際に会って、どうでしたか?

 

S:当日まですごく緊張していました。3日前から何も食べられないくらい。実際に会ったら養親さんも緊張で手が震えていました。でも、まず私に「体調はどうですか?」と聞いてくれて。事前に写真を見せてもらっていて、写真から優しい感じの人だと思っていたけれど、実際に会ったらもっと優しかったです。

 

M:とても良い印象を持てたんですね。

 

S:会って1時間くらい一緒にいました。養親さんはその日までに何度かユウ君(赤ちゃんの名前、仮名)に面会に来ていたので、その時のユウ君の様子や、ユウ君がどんな子かなどの話をしました。私も養親さんも、立ち会った児童相談所の人もシンシア(妊婦さんのための宿泊施設の家主)も、みんなずっと笑顔で、ほわほわした空間でした。

 

M:養親さんと良い時間が過ごせたんですね。

 

S:その時はずっと笑っていて、面会が終わった後で泣きました。寂しい気持ちもあったけれど、寂しさよりも安心感から出て来た涙だと思います。肩の荷が下りて、何かから解放された感じ。直接会って話をして、この人たちなら大丈夫、ユウ君は絶対幸せになれると思って安心できました。

 

M:最後にユウ君や養親さんと一緒に写真も撮ったんですよね。

 

S:その日、初めてユウ君を抱っこしました。赤ちゃんに記憶はないかもしれないけど、何かの形で、抱っこした私のことを覚えていてほしいなと思います。養親さんに直接託すことができて、私の中でも良い区切りになりました。



5/6に続く

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2023年7月5日

特別養子縁組 実親体験記(3/6)

(3)出産したら感情が飛び出た     


スタッフM(以下M):産む前はそれほど感情的ではなかったのに、産んでから、変わったんですね。

 

翔子さん(仮名、以下S):産んだらもう全然違う。出産前、病院には赤ちゃんの姿を見たくないと伝えていました。なので産んですぐ別室に移される予定でした。でも、産まれてきた赤ちゃんの状態が良くなくて、その場ですぐに処置が必要で、すぐそばで赤ちゃんを見ることになってしまいました。見たら・・・感情が飛び出た。

 

M:飛び出た。

 

S:その後赤ちゃんはNICU(新生児集中治療室)に入っていて、退院3日前にNICUで再会しました。涙が止まらなかったです。離れる寂しさで、退院後2週間ぐらいずっと泣き続けていました。

 

M:辛かったですね。

 

S:産んだ直後が一番きつかったと思います。他の人の赤ちゃんを見るのも辛かった。一時期は死にたいとまで思いました。

 

M:それほど追い詰められてしまったんですね。

 

S:養子縁組のことを話した友達が4人いるのですが、そのうち2人からすごく責められたんです。「子どもを捨てるのと一緒だよ」と言われました。

その言葉が、自分自身が母親に対して持っていた感情と重なりました。私を虐待する母親に、「死ねばいいのに」と思ったことがあります。その母親と自分は同じことをしているように感じて、「自分は生きていてはいけない人間だ」と思いました。

 

M:そういうことを友達に言われたら・・・、きついですね。特別養子縁組をやめたいと思うことはありませんでしたか。

 

S:ありました。自分で育てられるかも、と考えることもありました。でもそうすると、(頭の中に)自分の親が出てくるんです。そうすると迷いがなくなります。

 

M:赤ちゃんを養親さんに託して約1週間経ちましたが、今はどうですか?

 

S:今は、迷いはないです。98%、かな・・・。これから6ヶ月の期間(*注)が長いなと思います。早く6ヶ月後が来てほしい気持ちと、完全に関係が切れてしまうことが寂しい気持ちと、両方あります。



4/6へ続く

前の記事:(2)養子縁組一択だった出産前

次の記事:(4)養親さんと過ごした大切な1時間


*注:特別養子縁組には「6ヶ月間の監護期間」という要件があります。養親は、子どもを6ヶ月間養育した後で、家庭裁判所の審判により特別養子縁組が認められます。正式に養子縁組が認められるまでは、子どもは産みの親の戸籍に入っています。

2023年7月1日

特別養子縁組 実親体験記(2/6)

(2)養子縁組一択だった出産前       


スタッフM(以下M):翔子さんは、出産前からはっきり、子どもは養子縁組にすると決めていましたよね。迷いはなかったですか?

 

翔子さん(仮名、以下S):妊娠中は、迷わなかったです。虐待家庭で育って、自分が愛情ある家庭を築けると思っていなかったから。彼のことは大好きだったけど、子どもを産んで一緒に育てることは考えられなかったので、妊娠がわかった時に、妊娠の事実は告げずに別れました。今でも彼は私の妊娠も出産も養子縁組も知りません。

 

M:そうだったんですね・・・。そういう決断をするほど大変な家庭環境だったんですね。

 

S:赤ちゃんの頃に虐待をされた後遺症が今もあります。小さい頃からずっと施設で育ちました。親は死んだのだと思っていたら、12歳の時に施設に母親が来て、「この人がお母さんだよ」と言われて、「えぇ?」と。引き取られたけれど母親や母親の彼氏に虐待されて14歳で家を出ました。

 

M:お母さんにされたのと同じように自分も虐待してしまうことが心配?

 

S:赤ちゃんを見ると、かわいいと思います。でもしゃべれるくらいの年齢になったら、「かわいい」だけじゃないですよね。イライラすると思う。私は普段はあまり感情を表に出さない性格だけど、何かあった時に豹変してしまうのではないかと不安に思います。

 

M:自分が親になることが不安で養子縁組を選んだんですね。妊娠がわかった時、「産まない」という選択肢を考えることはありませんでしたか?

 

S:なかったです。不思議がられることがありますが、私の中では妊娠したら産むもの、と思っていたので、中絶することはまったく考えませんでした。自分が施設育ちで、自分の子どもに同じ経験をさせたくなかったし、養子縁組の知識もあったので、赤ちゃんをどうするかについては養子縁組一択でした。

 

M:なるほど。それでも出産後には精神的にきつかったという話を最初にしてくれましたね。出産前にはそういう辛さはなかったんですか?

 

S:産む前は、気持ちがふわふわしているんですよね。ほんとに産まれるのかな、みたいな。自分のお腹の中にいるから、「離れる」という想像ができない。

 

M:妊婦さんにとってはとにかくまず体調を整えて無事に産むというだけで一大イベントですからね。産んだ後のことについては現実感がないのも理解できます。



3/6へ続く

前の記事:(1)仲間がいるよ!

次の記事:(3)出産したら感情が飛び出た

2023年6月27日

特別養子縁組 実親体験記(1/6)

(1)仲間がいるよ!          


スタッフM(以下M): 翔子さん、今日はインタビューを受けてくださってありがとうございます。特別養子縁組(*注)を選んだ実母さんが自分の体験を公開したいと思ってくださることって滅多にないんです。とても感謝しています。そもそもどうして話そうと思われたんですか?
 
翔子さん(仮名、以下S):自分自身が、他の人の体験談を聞きたいと思ったからです。私の場合は、産む前から子どもは養子縁組にすると決めていましたが、産んだ後の1ヶ月が特に精神的にきつかったです。自分と同じ思いをしている人を見つけたくてネットで検索しても、全っ然何もない!養子を迎えた側の体験談はたくさんあるんですけど、出した側の実母の声は何も見つからなかった。
 
M:たしかに、実母さん側は、自分の体験を発信しづらい環境や心情の人が多いと思います。私たちライフ・ホープ・ネットワークで今まで関わって来た女性たちも、出産した事実自体を家族にさえ伝えていないケースや、出産後すぐに元の仕事や学校に戻らなければいけない事情などもあって、「自分の経験をたくさんの人に知ってもらいたい!」とはなかなかならないんですよね。
 
S:実母の体験談が見つからないかわりに第三者の意見は出てくるんです。養子に出すのは無責任だとか、産まなければよかったのにとか、批判的な言葉を見つけて傷つきました。私と同じ思いをしている人が絶対いると思うので、その人たちに「仲間がいるよ」と伝えたいです。
 
M:養子縁組の実母さんが同じ体験をした人とつながる手段はなかなかなくて、孤独になりがちですね。今回は本当に貴重な「体験者の生の声」になると思います。どうぞよろしくお願いします。

2/6へ続く

次の記事:(2)養子縁組一択だった出産前


*注:日本の法律上、養子縁組には「普通養子縁組」と「特別養子縁組」の2種類があります。普通養子縁組では、産みの親と育ての親の両方が子どもと親子関係を持ちます。特別養子縁組では、子どもと産みの親との親子関係はなくなり、育ての親が「実親」となります。祥子さんのように、産みの親が子どもを育てられない場合の養子縁組は、原則として「特別養子縁組」が選択されます。