2025年3月12日

特別養子縁組 実親体験記第二弾(6)

長く辛かった7年間、でも後悔はしない  


前回のあらすじ:出産から1ヶ月経って、赤ちゃんを養親さんに託しました。喪失感、寂しさ、孤独と闘いながら、少しずつ前を向いて来ました]


私がこうして特別養子縁組に託した子供の事を話せるようになるまで7年かかりました


皆さんにとって、7年という月日はどのように感じるでしょうか?

小学生なら卒業し中学生

高校生なら卒業し大学生

大学生なら社会人へ


私にとって7年という時間はとても長く辛いものでした

暗くてゴールの見えないトンネルの中にいるような、やり場のない感情を抱えて過ごすのは

皆さんが思っている以上に辛く、苦しい時間です


7年間、子供の写真を見なかった日は1度もありません

寝る前に見ては悲しくなり「もう喋るのかな?」「どんな声なんだろう」

想像しては苦しくなっての繰り返しです

養子縁組の団体さんが1年に何度か写真と動画を送ってくれます

子供の成長は凄く早い

前の写真・動画では立てなかったのに、次の写真や動画では立っているなんて事は普通です

子供達は成長していくのに、私だけ置いてけぼりな感覚に陥ります

私だけ7年前で時間が止まってたんです

それが、やっと前を向いて進めるようになりました



特別養子縁組をした「お母さん」は

悩むことなく決断する事はありません

お腹の中で大切に育てた赤ちゃんを手放す事は本当に辛く、悲しく、苦しいです

産まれた赤ちゃんと入院中の1週間という短い時間共に過ごし

「幸せになってね」と赤ちゃんの幸せを願い自分の手で養親さんに託します

特別養子縁組をしたお母さんに

「子供を捨てた」は必要ない言葉です

養親さんの気持ちだけではなく

「産みの親」の気持ちも知ってもらえたら嬉しいです


1044gで産まれた息子は、奇跡的に何の障害もなく、お姉ちゃんと共に元気に育っています

写真からご両親に沢山愛されている事が伝わってくるほど、幸せそうな顔をしていて養親さんには感謝の気持ちでいっぱいです

私は特別養子縁組したことを後悔していません

この先の人生、私も幸せに過ごすために生きていきます


いま、どうしたらいいのか悩んでいるお母さん達に伝えたいです

どうか、1人で抱え込まず相談してほしい

役所に行ったら冷たくされたという声を聞いた事があります

人間不信になりますよね

どうせ助けてくれないって思いますよね

ライフホープネットワークは違います

絶対に助けてくれます、最善の策を一緒に考えてくれて、見放すような事はないです

自分は1人だと思わないでください

ちゃんと守って助けてくれる人達がいます

1歩の勇気を振り絞ってみたら、あなたの居る世界は変わります

悲しい思いをする女性が少しでも居なくなってほしいです

(完)


<これまでのお話はこちらから>

第1話 妊娠16週「このままでは死んでしまう」

第2話 特別養子縁組を決めながらも揺れる心

第3話 保育器の赤ちゃんに手を握られ、溢れた母性

第4話 決心してから託す日までの辛い時間

第5話 目を見て伝えた「よろしくお願いします」

特別養子縁組 実親体験記第二弾(5)

目を見て伝えた「よろしくお願いします」 


前回のあらすじ:赤ちゃんは特別養子縁組に託すと決め、NICUに通った1ヶ月間。そしてとうとう養親が見つかったと連絡があり、赤ちゃんを渡す日がやって来ました]


当日、心臓がずっとバクバクしていました

シンシアさんと一緒に病院へ行くと

団体の方と養親さんが先に着いて待っていてくれました

「はじめまして」と初めて顔を合わせて

私の体調を心配してくれて

どんなお仕事をしているのか等をお話ししてくださり

とても優しそうで素敵なご夫婦でした

私は作ったアルバムをお渡しして

「○○(子の名前)を家族として迎えてくださって本当にありがとうございます。よろしくお願いします」と目を見て伝えました

絶対に泣かないと決めていたのに、声が震えて涙がポロポロこぼれてしまって堪えられませんでした


団体の方に「最後に会ってきますか?」と言われたので、会いに行くと看護師さんが個室を用意してくださって、赤ちゃんと私の最後の時間を過ごしました

時間にすると10分程だったと思います

「大好きだよ」

「絶対に幸せになってね」

「ママはずっと大好きだよ」

「産まれてきてくれて、ありがとう」

もう会えないから、顔を見ることもできないから

ありったけの言葉を沢山伝えました


そして、養親さん達の所へ戻り挨拶をして

シンシアさんと家へ帰りました


家に着くと、すぐに部屋に戻りました

言葉にならない喪失感

体からぽっかりと何かが抜けて失くなってしまったような感覚

もう会えない

もう触ることもできない

取り残されたような寂しさと悲しさと孤独感が一気に押し寄せてきました

気づけばポロポロ泣いていて、止まらなくて

赤ちゃんに会いたくて堪らなくて苦しい


次の日から、ご飯が食べられなくなりました

食欲もないし何もしたくない

ずっとベットの上で今まで撮影した赤ちゃんの写真を見ていました


お昼過ぎに部屋のドアをノックする音があり

開けるとシンシアさんでした

「栞?ご飯食べた?」と声をかけてくれました

「食べてない、食欲ない」と言うと

「食べないとダメね、カフェからご飯持ってきたよ」と

リビングに行くと温かいご飯が置いてあって

椅子に座って1人で食べ始めたら涙が止まらなくて

食べ終わるまでずっと泣いていました


何をしていても楽しくなくて

外に出る元気なんてない

私が一生懸命お腹の中で育てた赤ちゃんが

他の人の所へ行ってしまった現実を受け止める心の余裕がありませんでした

「なんで、どうして赤ちゃんは私のところにいないの」

こんな気持ちが頭の中をぐるぐると巡って、苦しくて、死んでしまいたいと思うこともありました


気持ちが沈んで、笑うこともできなくて

他の人と話す気持ちにもなれない

「なんで私がこんなに苦しまないといけないの」

「私の赤ちゃんなのに、どうしていないの」

心の中は暗い感情でいっぱいでした

シンシアさんは

「養子縁組したお母さんは皆そうなる」と言ってくれて、必要以上に声をかけたりせず見守ってくれていました


赤ちゃんの書類を整理していた時に、NICUの看護師さんが書いてくれた赤ちゃんの記録を見つけて読んでみると

毎日どんなことがあったのか、こんな仕草してました、可愛いイラストと写真を貼り付けて手書きで日記を書いてくれていました

1人の看護師さんだけでなく、他の看護師さんも書いてくれていて

ポロポロ泣きながら全て読み終わる頃には

「あの子はとても守られて、大切にされて可愛がってもらっていたんだな」と思うと

心が少しだけ楽になるような感覚になりました


次の日から少しずつ、本当に本当に少しずつ

前を向けるようになって

カフェの手伝いをしながら引っ越す所を探して…という日々が続きました


(続く)

第6話 長く辛かった7年間、でも後悔はしない


<前回までのお話はこちらから>

第1話 妊娠16週「このままでは死んでしまう」

第2話 特別養子縁組を決めながらも揺れる心

第3話 保育器の赤ちゃんに手を握られ、溢れた母性

第4話 決心してから託す日までの辛い時間